触れる”の本質の“本質

理学療法士は人の身体に“触れる”仕事です。「触っただけで、そこまで解るんですね」おっしゃる方が多いのですが、むしろ触らないとわかりません。
私の専門分野である「徒手医学 Manual Medicine」の系統的評価の手順の中に「触診」というのがあります。いくつか種類があるのですが、刺激に対して身体がどんな反応をするか、その閾値がどの程度かを推し量るための触診、いわゆる「自律神経活動を推し量る触診」を非常に重要視します。
自律神経系とは、自動的かつ自律的に調節している神経系で、心臓や内臓、血圧や脈拍などを状況に合わせてコントロールしています。これをいつでも良い状態に保とうとする性質を「ホメオスタシス(体性恒常性)」、さらにその具体的方法やその機能を「アロスタシス(身体の状態を一定に保とうとする機能)」と云います。自律神経系の振る舞いとは、このアロスタシスの現れで、身体の様子が変調すると、この振る舞いも変わってきます。これを触診で確認しようという訳です。
触るという行為は「コミュニケーション」です。言語的なコミュニケーションは、嫌な相手とはしない、という選択肢がありますが、「触る」「触られる」ということにはその余地は無く、良きにつけ悪しきにつけ、強制的なコミュニケーションを強いられます。これは「知覚の共有」です。
あの先生はいつもサワサワ触っているだけで、どこを触っているかわからないけど、先生は私のことをわかって触ってくれていますね…ある病院で勤務していた際によく耳にしました。言語的コミュニケーションよりも明瞭に、瞬時に「全て」がやり取りされます。信頼を損ねることも、勝ち得ることも一瞬です。偉そうな顔をしていても「本当はわかんないでやってるよー」と伝わります。「知覚の共有」を軽んじてはならない。
痛みや症状を持つ方に触れるときは、この「知覚の共有」を駆使して状況を丁寧に伺い、良い方向へ導いて行きます。身体は、どうされると不快か、今どうなりたいか、ということを教えてくれます。人の身体は、外見は何ともないように見えても、多くのことが隠されています。それを察知できるのが「知覚の共有」なのです。これは、健全かつ膨大な臨床経験と、豊かな感性を持ち合わせた者だけが、成すことを許される特殊技術です。にわか素人には無理です。しかしこれは人類共通の財産でもあります。ですからこれを普及させ、必要な方々がそれを享受される必要もあります。
今朝の由比ガ浜は、穏やかなグラデーションが神秘的。こんな美しさが人の身体にもあります。そこで私は、それぞれの境界を明瞭にし、吹く風を受け、海中にいる魚を感じ、波を見ながら砂浜の感触を確かめる、荒らさずに、そーっと、です。
これが、私が持つ“触れる”の本質です。

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