いつまでも美しくありたい、いつまでも健康でありたい、そして幸せな人生を全うしたい・・・これは全ての人が同じように願い、全ての人が等しく成せる権利でもあります。
人は社会で長く生きてればいるほど、そこで役割ができたり、責任を担ったり、また大切な人ができたりすると思います。それは人生においてとても大切なこと。だから、時には人生を賭してでも、それを守ろうと無理をしたりもします。自分の身体のことは後回しにして挑み、あるいは「身を粉に」したりもします。その頑張りによって勝ち得たものは、また身を粉にして賭けた自分への負担でさえも、人生に彩を与え、さらに深めてくれるものでもあります。
美しさというのは若さの象徴として捉えることができます。若さはアグレッシブに挑戦し、人生を切り開くエネルギーを連想させ、いつまでもこの手に留めておきたいと願い、憧れを抱きます。人生100年時代といわれる現在、いつまでも若々しくいたい、美しい自分でいたい、と思うことは自然です。アンチエイジングという言葉もよく耳にするようになり、それを成すために多くの研究が報告され、その成果は時に、人々を勇気づけます。
年齢を重ねながらも、いつまでも美しさも兼ね備えるには、どうしたら良いのでしょうか。ダイエット、トレーニング、サプリ、エステ、美容整形・・・目的によって方法はさまざまだと思います。でも、人生を全うするその時まで健康で、美しく在るには、Sustainable(サステナブル:持続可能な)な方法が必要なのだと思います。
私たちは、長年にわたり医療の最前線に身を置きました。病気を患った方、不慮の事故でケガをされた方、何千人もの患者さんと関わって、まさに「様々な」人生に出会ってきました。確かに、病気やケガには、遺伝的素因や避けられない事故など、動かせない理由によるものはたくさんあります。ですが臨床においては、事前に回避できるはずの理由により発生する「必然的な障害」が、あまりにも多かったのです。
優秀な理学療法士のコミュニティでは、運動器障害は偶然ではなく必然である、という考え方は一般的です。それは、理学療法士はクライアントが持つ症状に対処するのではなく、それが発生する原因となった運動の「質」を見ているから、これが理由です。ここで云う理由というのが、その方の体の使われ方の著しい傾向、すなわち病理的な身体の使われ方を捉え、それを発見し、適切な介入が行える、ということになります。
毎日の生活の中で、ちょっと肩が気になるな、とか、腰が重いことがあるな、あるいは、頭が重いな、首が疲れるな・・・といった、ちょっとした症状があると思います。これが、その方の身体の使われ方の傾向の表れです。私たちはこれを「身体の声」と捉えています。
その小さな声は、ここぞ!という人生の局面では「たいしたことない」「些細な」こととして気にも留めないほどの症状、ちょっと後回し、今はそれどころではない、と無視されがちなものです。ですが、その声は身体が「ちょっと何とかして欲しいな」というサイン。これに応えるか否かで、その後の身体機能が大きく異なってしまうのです。
美しさの追求はWell beingのひとつかもしれません。長年、臨床で人の身体を見たり、触ったり、一緒に動いたりしていると、昨今のステレオタイプな美しさには、個人的にはちょっと危うさを感じます。痩身ということで過度にダイエットをしたり、身体を鍛えたら良いということで過剰な負荷をかけたり・・・その時に、身体が欲しない方法で無理に体型を変えようとすることは、これから先、長く付き合ってゆく大切な自分の身体への侵害刺激、ストレス、に他ならないのではないでしょうか。
病気を患われた、ケガをされた後に、リハビリによって日常生活レベルを戻そうとする際、細くスレンダーな体型の方は明らかに時間がかかりやすい、というのが、私たちが持つ臨床の肌感覚です。年齢を重ねると、いずれ基礎代謝量(生きるために最低限必要なエネルギー)が低下するのですが、それはエネルギーの必要量が減るということで、それに伴って食べる量も減少します。すなわち、だまっていても痩せて行くわけです。
これは若さを取り戻すのではなく、エネルギーの蓄えが少なくなって、病気やケガをした際の回復力が低下する、ということを意味します。例えば乳癌の治療で抗がん剤を使用しましょう、となると短期間に体重が5㎏近く低下したりします。そうしたらいつもの仕事なんで出来ないくらい体力が落ちてしまいます。だから私たちは抗がん剤治療が始まる前に、とにかく食べて太って体力をつけましょう、と励ますのです。
今、適切でないダイエットをしてしまった身体は、実は歳をとってからの体力、耐久力を低下させ、活動的な人生を短くしているかもしれないのです。
美しい身体というのは、心身の健康という基盤があってこそ、初めて成り立ちます。本当の美しさは、いつでもより良い人生を探求できるような快活な心をベースに、いつも満遍なく使われている身体にこそ在るのだと思います。これは、いわゆる「用の美」という考え方です。日本独特の文化のひとつである「工芸品」と共通する考え方、鑑賞する目的の美術品ではなく、毎日使われてなお輝きを増す工芸品と同じではないでしょうか。
人の身体も同じこと。この「用の美」というのは、ひとりひとりが、各々に最適な「身体の使われ方の傾向」が反映された状態。よく使われている身体は美しい。それが具現化されていれば、それは美しい、そういう価値観です。
ですから、その美しさを保つため、健康を維持するために、ときどき「身体の声」に耳を傾け、「身体の使われ方の傾向」を適切に保ち、身体が欲するように導いてあげれば良いのです。さらに、ご自身がそれを感じて、もっと自分の身体を丁寧に、大切に扱って、ご自分でメンテナンスできたら、なんて素晴らしいことでしょう!
こんなことが出来たら、こんなサステナブルな身体を獲得することが出来たら、もっと豊かに、もっと彩りよく、もっと主体的に、人生の可能性を広げられるんじゃないかなって、そう思いませんか?
特にリハビリテーションの臨床にいると、皆さんが人生再構築のために、長期間の不自由な入院を覚悟して病院においでになります。そこで、ほんの小さな「身体の声」をくみ取ってもらえずに、ここが限界ですねと判断される場面に、少なからず出くわしました。でもそこで「身体の声」に従って適切な介入をすると・・・やはり自分でやるしかない、そう思ったのです。
私たちは紛れもない医療人であり、国家資格を持つ医療従事者、そして長年臨床の最前線に身を置き続けた臨床家です。私たちは、臨床で培った豊富な経験と卓越した技術を駆使することで、社会貢献したいと願う、そういう性質を持っています。
人生100年時代における、時代や風潮にとらわれない「用の美」という価値の提案、これが、将来的に私たちが目指す、サステナブルな社会構築に一助をなすものと、信じてやみません。
Professional Physio Partners 株式会社
代表 相原 忠洋